コラム
タンザニア・ケニア国境線
2014/08/02
世界地図を眺めていると、国境線が直線の国が目に付きます。
タンザニアとケニアも然り。
添乗員さんに聞くと
「両国ともイギリスの植民地だっから、直線で国境を引いたのでしょう」
西欧列国によるアフリカの分割です。
前回訪れたヨルダンも、シリア・ヨルダン・イラク・レバノンは、
イギリスとフランスが第一次大戦後に分割したもの。
「そもそもヨーロッパ諸国が、中東やアフリカに、
自分たちの都合で国境線を引いたことが、今の民族紛争の原因では」と、
こちらも添乗員さんの話。確かに、私もそう思います。
ヨーロッパにとって、アフリカ大陸は資源の宝庫。
1961年独立したタンザニア、最初は白人を追い出したけれど、
今では白人企業など誘致、経済を立て直しているそうだし、
1963年独立したケニアでは、ナイロビの発展目覚ましく、
高級住宅地では、コーヒー農園オーナーなどイギリス人が住んでいます。
両国の人口は、10〜100の部族や民族から構成されていて、
ナイロビのレストランやオフィスで働く、スーツやワイシャツ姿の人たちと、
村落で、槍や棒を持って牛を追うマサイなど部族民とでは、
その暮らしも仕事も全く違います。
文明を受け入れつつ自然と共存するという難しい課題を、
アフリカの人たちが「pole pole(ゆっくりゆっくり)」
乗り越えて行くことを、心から願ってます。
最後に立ち寄ったナイロビのレストラン近くでは、
街のど真ん中だというのに、イボイノシシがのんびりお散歩。
飛行場隣の空き地では、
マサイキリン4頭が、長〜い首を見せて「サヨナラ」のご挨拶でした。
タンザニアとケニアも然り。
添乗員さんに聞くと
「両国ともイギリスの植民地だっから、直線で国境を引いたのでしょう」
西欧列国によるアフリカの分割です。
前回訪れたヨルダンも、シリア・ヨルダン・イラク・レバノンは、
イギリスとフランスが第一次大戦後に分割したもの。
「そもそもヨーロッパ諸国が、中東やアフリカに、
自分たちの都合で国境線を引いたことが、今の民族紛争の原因では」と、
こちらも添乗員さんの話。確かに、私もそう思います。
ヨーロッパにとって、アフリカ大陸は資源の宝庫。
1961年独立したタンザニア、最初は白人を追い出したけれど、
今では白人企業など誘致、経済を立て直しているそうだし、
1963年独立したケニアでは、ナイロビの発展目覚ましく、
高級住宅地では、コーヒー農園オーナーなどイギリス人が住んでいます。
両国の人口は、10〜100の部族や民族から構成されていて、
ナイロビのレストランやオフィスで働く、スーツやワイシャツ姿の人たちと、
村落で、槍や棒を持って牛を追うマサイなど部族民とでは、
その暮らしも仕事も全く違います。
文明を受け入れつつ自然と共存するという難しい課題を、
アフリカの人たちが「pole pole(ゆっくりゆっくり)」
乗り越えて行くことを、心から願ってます。
最後に立ち寄ったナイロビのレストラン近くでは、
街のど真ん中だというのに、イボイノシシがのんびりお散歩。
飛行場隣の空き地では、
マサイキリン4頭が、長〜い首を見せて「サヨナラ」のご挨拶でした。







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