コラム
福島県いわき市へ、災害見舞に行きました
2011/04/03
昨日2日(土)、夫の実家があるいわき市へ、
頂いたお米30キロと蜜柑、その他の物資を持って車で行きました。
常磐高速道路は、友部辺りまではいつも通りでしたが、
その先は車の数もぐっと減り・・いわきの街は静かでした。
中心部「平」という町に実家はあり、第一原発からは40キロ圏内です。
3月16日に義甥夫婦は、子ども3人と那須へ避難しましたが、
3月末に義甥の仕事が復活したので、家族でいわきへ戻りました。
まずお墓の様子を見にお寺へ。
たくさんの墓石がゴロゴロ倒れて転がって、
お寺の母屋の屋根が被害にあっていました。
庭の灯籠なども壊れ、住職さん大変そうでした。
実家のお墓の石も、落ちてはないけれど、大きくズレていました。
お寺からいわき駅に行く間、町の破損はそれほど酷くないけれど、
屋根や垣根、壁が崩れた家もあり、通りには瓦礫が積んであったり、
人が住んでいない家も多くありました。
駅近くのショッピングビルも、漸く開店したようで、
復興に向けては、これから、といった感じでした。
駅前に「東電様」と書かれた、大きなバスが止まっていて、
たくさんの男性が乗っていたのには驚きました。
作業に行く人でしょうか・・帰る人でしょうか・・現場の人たちでしょうか・・
本当にお疲れ様です。
義甥は仕事で会えなかったけれど、
奥さんと子どもたちの元気な姿を見て、ホッと安心しました。
2月に皆とは法事で会ったばかり、
僅か1ケ月半の間に、たくさんのコトがありました・・
地震の後、地域から食糧とガソリンがなくなり、
原発の不安で外には出られず、近所の人たちがどんどんいなくなり、
友だちと情報交換しながら、漸くガソリンを入手、避難出来たそうです。
避難先の那須では、友人の協力もあって、快適な環境で過ごすことが出来たとか。
義甥がいわきに戻る時、子どもと奥さんは那須の残ることも考えたそうですが、
「家族一緒に戻る」ほうを選択したと、奥さんは笑顔で言ってました。
いわきに戻ってからは心配で、子どもたちは外に出ていないそうですが、
新学期が始まれば、原発の影響は回避出来ないでしょう。
取り敢えずは今の生活を続け、不安が募ったら、
子どもと奥さんだけでも避難して来てね、と言って別れました。
夫の知人や親戚の方には、会えずじまい。避難したり仕事で上京していたり・・
普通に生活出来る環境が、どんなに有り難いか実感します。
東京と反対方向へ、行けるところまで海沿いを車で行きました。
相馬方面から来る車中の人たちは、みなマスクしていて、
国道の両脇のお店は、ほとんど閉店休業状態、殺伐とした雰囲気が漂ってます。
何度か訪れた海沿いの宿泊施設へは、通行止めで行けず、
海沿いの通り、松林や家々には、波が押し寄せた痕跡が彼方此方にありました。
たくさんの人を飲み込んだであろう太平洋は、波高く、荒れてます。
原発も海も大地も、穏やかに静まっていくよう願いながら、
東京へと戻りました。
頂いたお米30キロと蜜柑、その他の物資を持って車で行きました。
常磐高速道路は、友部辺りまではいつも通りでしたが、
その先は車の数もぐっと減り・・いわきの街は静かでした。
中心部「平」という町に実家はあり、第一原発からは40キロ圏内です。
3月16日に義甥夫婦は、子ども3人と那須へ避難しましたが、
3月末に義甥の仕事が復活したので、家族でいわきへ戻りました。
まずお墓の様子を見にお寺へ。
たくさんの墓石がゴロゴロ倒れて転がって、
お寺の母屋の屋根が被害にあっていました。
庭の灯籠なども壊れ、住職さん大変そうでした。
実家のお墓の石も、落ちてはないけれど、大きくズレていました。
お寺からいわき駅に行く間、町の破損はそれほど酷くないけれど、
屋根や垣根、壁が崩れた家もあり、通りには瓦礫が積んであったり、
人が住んでいない家も多くありました。
駅近くのショッピングビルも、漸く開店したようで、
復興に向けては、これから、といった感じでした。
駅前に「東電様」と書かれた、大きなバスが止まっていて、
たくさんの男性が乗っていたのには驚きました。
作業に行く人でしょうか・・帰る人でしょうか・・現場の人たちでしょうか・・
本当にお疲れ様です。
義甥は仕事で会えなかったけれど、
奥さんと子どもたちの元気な姿を見て、ホッと安心しました。
2月に皆とは法事で会ったばかり、
僅か1ケ月半の間に、たくさんのコトがありました・・
地震の後、地域から食糧とガソリンがなくなり、
原発の不安で外には出られず、近所の人たちがどんどんいなくなり、
友だちと情報交換しながら、漸くガソリンを入手、避難出来たそうです。
避難先の那須では、友人の協力もあって、快適な環境で過ごすことが出来たとか。
義甥がいわきに戻る時、子どもと奥さんは那須の残ることも考えたそうですが、
「家族一緒に戻る」ほうを選択したと、奥さんは笑顔で言ってました。
いわきに戻ってからは心配で、子どもたちは外に出ていないそうですが、
新学期が始まれば、原発の影響は回避出来ないでしょう。
取り敢えずは今の生活を続け、不安が募ったら、
子どもと奥さんだけでも避難して来てね、と言って別れました。
夫の知人や親戚の方には、会えずじまい。避難したり仕事で上京していたり・・
普通に生活出来る環境が、どんなに有り難いか実感します。
東京と反対方向へ、行けるところまで海沿いを車で行きました。
相馬方面から来る車中の人たちは、みなマスクしていて、
国道の両脇のお店は、ほとんど閉店休業状態、殺伐とした雰囲気が漂ってます。
何度か訪れた海沿いの宿泊施設へは、通行止めで行けず、
海沿いの通り、松林や家々には、波が押し寄せた痕跡が彼方此方にありました。
たくさんの人を飲み込んだであろう太平洋は、波高く、荒れてます。
原発も海も大地も、穏やかに静まっていくよう願いながら、
東京へと戻りました。


日々想うことなどをお届けします。